悪い状態の時から安定してきた感じがする
日中は特に気にする程の不調は無く
時折不安感のようなものがス~っと来てはしばらく滞在して
ス~っと消えていく 何か打ち込めるモノがあると気でも紛れるのかなぁと思います
今日は少し私の病歴や生活環境についてまとめて書いてみようと思います
少しでも参考になれば~と思います
意味無いけど小5くらいの私とこのブログでも出てくる故:親父
昭和感満載のこれドコだろうなぁ~秋芳洞とかかな
ヤベっ泣きそうw
でも、この頃って汚れても無ければ
変な病気にもなってなかった(この後大怪我するんですけどね)
親父はこの頃から酒は良く飲んでた(仕事柄)
もっと早く俺は大人になって親父の飲酒を止めていれば歴史は変わっていたかもしれないな
107/71 bp86
昨晩飲酒無し
パニック症(パニック障害)発症とそれからレスタス服用期間のコト~その1~
2007年の5月6日深夜(5月7日の早朝?)AM2:00あたり
妻の実家から帰宅途中より胸部にツンとした痛みが走ってそれが継続
出たり収まったり手足に発汗があったが
酒の飲み過ぎと思って何事も無く就寝するが
あまりの胸の痛みに目が覚める、、、
痛みは増して行き脳裏に「あれ狭心症?心筋梗塞?」みたいな不安を煽るような思考が出てくる
これは予期不安というよりも自分で自分を不安に煽っていたような感覚だったと今振り返ると思えるが
もしかすると不安発作も出てたのかも、、、 というか元々心配性だからおそらく自然な事ね
妻の運転で救急病院へAM3:00過ぎ
呼吸の荒ぶりは収まったものの、悪寒と手足の発汗
車内で毛布にくるまりガクガク震えていた
病院へ到着4:00前あたり
看護婦曰く「ご主人しっかりしてくださ~い、お子さんも小さいんだし頑張らなきゃ~」
マジね普段ならドつくレベル 看護婦に殺意が沸いたのは覚えてる
医師がワリと冷静に声を掛けてくれてホっとしていた
そしてお約束皆様もご経験済でしょう
異常なしの心電図
さらにお約束の「疲れでしょう^^頑張りすぎたんでしょうね」
点滴でベッドへ、、、、
ホントここまでで良かった
むしろ大正論の診断だったと思う
これから5月22日まで夜間襲ってくる動悸と闘う事になる
が、とかく病気への対策に関しては本能的に順応する私
動悸がきたら呼吸ゆっくりすればいいじゃないか!と悟る
1晩か2晩か続いたろうか
数日おきにきたりもした、軽いパニック発作を妻と耐えた
考えたら、軽くなってたんだからそのまま放置しておけば良かったかもしれない
ま、過去を振り返って”かもしれない”つってもしょうがないので
今生きてる事を考えると、今の方がいいに決っている
あのままスルーして不摂生してたら
どちらにしても何か大きな病気してるわ
5月22日
IT系のサラリーマンだった私は、ワリと緩めの勤務体制に勝手に切り替え
病気が何かのか調べて、1つの病名にたどり着く
「パニック障害」
間違いない、これだ!
と確信を得た私は、名医を探した
病名+都道府県名 とかでとにかく探した
すると当時の家からワリと近くの内科医で
パニック障害の専門医がいた
うつや心身症でなく「パニック障害」と謳っていた
会社の休みでも無い日に病院へ行ってるので
おそらく遅刻か何かで行ったのだと思う
レスタス1錠朝 コンスタン(ソラナックス)2錠朝夕
グワングワン目が回っていたと思う
そして5月24日には再度病院へ行っている
おそらく薬の副作用がキツく初めての経験だったので行ったんだと思う
ここで薬を辞めておけば、、、、
いやそれは今があるからそう思えるだけで
ヘタすれば悪化してたり命に影響w及ぼしてた可能性もある
今は生きてる何不自由無く生きてる
1週間くらいで薬が安定したのか10ヶ月程度薬を貰うだけの診療
呼吸法と出会うがマジメにトレーニングしない日々
もう薬に頼る生活になる
もちろんというか大酒飲みの私は躊躇なく薬との併用を続けた
飲んだり飲まなかったりは酒では無く薬で
本当に適当な生き方だったと思う
思えば酒が無けりゃダメな生活だったような気がした
あ~恐ろしい
年が明けて3月までは発作は不定期であれど
日常生活には問題無かった、、、日中は仕事を普通に続けた
しかし私の脳神経は悲鳴をあげていた
その2へ続く?(続けw)