ご挨拶と今回の記事について
どうもお久しぶりです。
SNSやブログから離れて1年半が経ち、今一度ラストメッセージと言いましょうか、過去の自分との決別やメンタルヘルスで苦しんでいるかつての仲間へのメッセージとして、最後の更新をしようと思います。
前回は完治します!という宣言で、今回はどちらかというと「さようなら」に近いです。
また、今回の内容はこれまで10年以上僕が語ってきた内容を一部否定的に捉える部分もあったりしますので、その辺をご了承頂ける人はご閲覧ください。
どんな内容であっても終始僕は、「自分の感じた事」を素直に書く事がコンセプトであって。
意思や思いは貫くものではなく、変化も含めて自分を貫くものだと今は思えるようになりました。
ですので、今回書く事は「矛盾」を感じる部分もあるかも知れませんが、苦しんでいた過去の自分へのメッセージとして書きたいと思います。故にこれは過去の自分と同じ境遇の方々へのメッセージとも言えます。
自分の中ではこれが本質であり、正しい捉え方という「今の自分の答え」なので、その辺を踏まえてご理解頂けると幸いです。
そもそもの病気に対しての考え方
これまで50年生きてきて、「病気」の事について深く考える事は無かったと思います。皆さんも病気の事を考える事って、無かったんじゃないでしょうか?
ここで言う「考える」とは、医学的な事でなくもっと本質的な「病気」という概念についてです。
っていうか、既に字で説明されているのですが、「気の病(きのやまい)」こそが病気なのです。
はいはいまたはじまったw みたいなノリに見えるかも知れませんが、気の所為とか気分の問題とかそういう事を言いたいのではありません。
病の原因は「気」であってこの「気」という解釈が間違っていた事を、この1〜2年で気付いたのです。
気分や気持ちが病気の原因と言いたいのでなく、ここでの「気」とはまさしくマインドやメンタルの事。
もう少し日本語で言うところの「思考」とか「概念」が近いですかね。
どういうプロセスで僕が考えているかと言うと…
目の前で起きるイベントに対して思考が発生する
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その思考が経験や知識として脳にインプットされ「概念」や「信念」のようなものになる
※学習した事が覆ったり実は嘘だったとすると驚きますよね?それが概念や信念という事です
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概念や信念を元に人生の大半は行動パターン化される
これが躾や教育や指導によって人格や性格として認識されていますが国や社会や文化によって違いがあるのはこの概念や信念はどのようにでもなるという事を裏付けています
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人生の中で概念や信念と自己矛盾が発生する(ストレス)ことによって脳からの神経伝達等に異常が生じる
ここでのストレスとは自分で気づいてないストレスが多いです
例えばご主人からパワハラを受けてストレスを感じるというパターンはパワハラがストレスになっていると一般的には捉えられますが実際には自分で感じているストレスとは違ったストレスや矛盾を脳は感じている事が多いです
ここではご主人のパワハラという言葉の暴力があったとすると、シンプルに「パワハラ=ストレス」と受け止めがちですけどこのパワハラで成り立っている生活や社会がある事も理解出来ませんか?
厳しく指導している指導者と弟子や、熱血な上司とそれに応えようとする熱血部下。
パワハラに限らずセクハラも含めて当人同士の関係性によってどうにでも無問題に出来る事案な事です。
ではこの例では何が問題になるかと言うと、ご主人のパワハラによって本来やりたかった事を抑圧していたり、自分の自由意志で動いているつもりが、実はパワハラがある事が前提や当たり前になっていたりして、自分らしい思考をしたつもりが歪んでいたり、逆にパワハラが無くなると物足りなさを感じたり、、、。
うまく説明出来てない気もしますが、こう考えてください。
何が食べたい?って聞かれて、「なんでもいいよ」「パスタ」「う〜ん」色んな回答があると思いますが、時と場合によって回答なんて何でも良くて、自分が求めてる答えが来なかったらストレス感じませんか?喧嘩になりませんか?
それが無意識に感じているストレスなわけです。脳は繊細にそういう部分を認識しています。
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その矛盾や見えないストレスの学習が繰り返されると、脳の信号パターンに乱れが出ます。
iPhoneの動作が不安定になるようなイメージです。再起動やOSのアップデートをしないと治らないのです。
しかしながら現代医療はそれを「病気」として認識して、治療を施します。
ここでの治療とは再起動やアップデートではなく、別のアプリを入れたり正しく動作する為の別のプログラムを強制的にインストールさせたり。
これでは正しく動作している方が逆に不安定な動作になったり、本来使いたいアプリでなく他のアプリを使う事が正常になってしまい、そのアプリへの依存が高まってしまいます。
そもそもはiPhoneの純正のままで良いのに、どんどん本来の性能が失われていくわけです。
投薬によるコントロールがこれに似ていますね。
シンプルにバッテリーの交換だったり、液晶が割れて修理するのが、怪我や骨折だと思ってください。
なんだか説明が下手だなぁ〜と感じていますが、全ての病気の原因は自らの「脳」の中に種があるという認識をして欲しいのです。
これを説明する一番簡単な説明は。
「幻肢痛(げんしつう)」という医療用語で説明出来るでしょう。幻肢痛とは、事故や病気によって手足を失った人が、失ったはずの手足が痛む症状です。
つまり痛みや感覚は脳が作っているので、物理的な腕や足の感覚よりも脳で様々な病状を作っている事があるという説明が出来ます。
脳が正常な動作をしなくなると、人は病気になったり痛みが出たり、メンタルヘルス的な症状を起こすと言う事です。
自分も最初はこの考えを理解出来ませんでしたが、今では深く理解しまさにその通りだなと、TVニュースや報道、芸能人の病気の記事や、過去の自分の事含めて色々と答え合わせがうまくいっています。
嗚呼、、、だから自分は病気になって、不調がここまで酷くなったんだ、、、と。
最初はかなり落ち込みましたね、不安も一時期は増しましたが、今では病気だけに限らず色んな世の中の起きてる事をこの「脳」という考え方で、認知を正せているように実感しています。
コロナのパンデミックや病気が流行する理由、病気の遺伝性やメンタルヘルスの根幹まで理解出来るようになって、それまでは医者や治せない学者の言いなりに「自律神経が乱れるからだー」とか「ストレスが良くなかったんだー」とか、カフェインがーとか糖質がーとか間違ってはいないけど、本質と違う部分的な考えに振り回されていましたね。
今になってみれば、過去に私が色々と悩んで苦しみ、学者のように調べて研究までした経験が結局自分の病気を作っていたという認識になり、幻肢痛では無いですが「無いはずの症状を作っていた」というとこまで理解できています。
スピリチュアルでは無いので、ついてきてくださいね(笑。
マジでこれが正解だと思ってるんで。
治療の中で出会った気づきたち
2007年に発症して投薬治療や様々な民間療法や、おまじないや宗教に近いとこまでありとあらゆる治療を試みた私。
そりゃぁどんな人よりも色々と試した自負はありますが、今たどり着いた「答え」までの通り道であった事も、自分の思考のバックボーンとして、今間違っていたと思える事も大切な1つの気づきの種になっていると思えます。
世間で言われる精神医療は間違っているとかの話も、今の自分の考えであればどういう意味なのかも分かりますし、その中にある矛盾的な事や、発症の原因の謎みたいなのも「あ〜こういう事だったんだ」と説明出来ます。
自分は結構ここに苦しみましたね、医療否定するのは簡単でしたが、だったら何が正解でどうすれば治るのか?という答えがなく、色んなドクターやメディアの情報に振り回されました。そのどれもが間違いでは無いものの、本質的な答えでなく、今たどり着いた答えの枝葉の末端の部分でした、答えの幹はもっと太くしっかりと根を張っており、全ての考えの源であると思えます。
人はよく「あーあの先生の言ってる事嘘だったんだー」とか「間違っていたなー」とか言いますが、決してネガティブでなく、騙されたわけでもなく、それに気づいたとか新しい知識や概念が生まれたという瞬間でもあるわけです。
私も10年以上あれこれやってますから、そりゃ取り組んで来たことを否定したくないですし、今更「嘘」だったとか「間違っていた」と想いたくありませんでした。
ただし、それで治らなかった場合は潔く現実を受け入れて、何か違うんだろうと認識を広めなければいけませんでした。
固執して知った知識や、学んだ知識を大切に保持して、またその知識を肯定的に増幅させるような、気持ち良い情報だけをどんどん肉付けしていったように思います。
例えば内海聡先生の発信を信じて、それを否定する発信を逆に否定してみたり、栄養療法だのメガビタミンだのってそこだけを注視して、それに否定的な発信は「分かってないな〜」と拒絶したり。
私が言いたいのは、内海聡先生やその他のメンタルヘルス系に寄り添っているドクターや治療家の発信が、間違っていると言ってるのでは無く、1つのきっかけを与えてくれてる人たちと言いたいのです。
私も含めてですが、病気で苦しんでいる人はとかくこういう発信情報を盲信して、それこそ正義!となって変な推し活闘病しがちなのですよ。私もご多分に漏れずそうでしたから分かります。
しかしその認知が間違っていた場合は、病気を引き寄せてしまいます。
繰り返し言いますが、発信者が悪いのでなくこちらの受け止め方や認知が間違っていると言いたいのです。
結局自分の首を自分で締める事になっていました。
今はそれに気づいて確実な変化を得ています。びっくりしていますよ。
自己暗示という心地よさと病気の種
人間は多かれ少なかれ「暗示」があると思います。
そしてこの「暗示」が病気の原因になってる事が、非常に多い事に気づきました。
慢性的な症状は特にそうなんです。
これは私もそうですが、20年近く「足が痛い」と言っていた母が特に医学的な治療をせずに治った事を見ても、説明がつきます。
母は私が結婚していた頃から足が痛いと言い出して、どこに行くにもロキソニンを飲んで出かけていました。
歳だから仕方ないのか、、、肥満だから、、、運動不足筋力不足、、、孫を膝の上に乗せて遊んでて痛めた、、、変形性膝関節症、、、坐骨神経痛、、、
私と同様に色んな治療院へ年単位で通い様々な治療をしましたが、一時的に痛みが和らいだり調子が良くなる事はありましたが、完全完治!という感じでは無く、まさしく私と同じように何となく治ってる、、、と自己矛盾を感じながらも肯定的に生活している感じでした。
それが今の私と同じような「気付き」の治療によって、半年程度で改善し完治しました。
痛み止めも一切不要で、「嘘みたい」と言いながら生活しています。
母は坐骨神経痛や変形性膝関節症や、孫を膝に乗せて遊んで痛めたわけでは無く、自分で痛みを作り出しその痛みの原因はもっと別の心の問題、ここで言う心とは脳の問題だったわけです。
10年以上の痛みの原因は、「自分は足が痛い」という自己暗示によって作られていたと、、、
皆さん!ついてきてくださいね(汗。 マジでこれが大正義なので。
壺とか経典とか売りませんから。
じゃぁどうやって治すねん!!
って思いますよね?
かつての私なら治療法をここで公開して、皆さんにお伝えしていたと思いますが、今の考えでは私が伝える事というのは、これまでのように「盲信」を促してしまう結果になりかねません。
誰もが安全に確実に治癒に向かっていく治療法。
この答えに僕はたどり着きました。
今のところ疑う部分がありませんし、病気だけでなく全ての思考の疑問だった部分や、深層心理的な部分がクリアになっていきます。
例えばメンタルヘルスに「カウンセリング」が有効と言われる理由も、今なら分かります。
かつては「カウンセリングなんて効果なかった」と自分は思っていましたがね、、、捉え方が間違っていただけで、カウンセリングは手法によっては、かなりの効果を生むと思います。施術者次第ではあると思いますが、、、。
私は新しい人生のスタートとして、また別の発信をしていこうと思います。
それは闘病やメンタルヘルスの治療としてでなく、自分のこれからの人生のライフワークを多くの人とシェアして、その中の一貫として今回私が気づいた「自分の中の正解」も発信したいと思います。
またこのブログを書いて居た時は、「元気な自分を偽っていた」ようにも思います。
でも今は等身大で今の体調や状況を、人に話せるようになりました。
そういうモヤモヤを含めて、過去の物語として闘病していた自分と今の自分を切り離して(ストーリー的には繋がっていますけどね)、俯瞰的に自分を見つめれるようになった事を含めて、新たなブログやYoutubeなどで発信出来たらと思っています。
苦しみを耐えて乗り越えて得られる治癒もありますが、それはやはりいつか限界が来ます。矛盾を生みます。
矛盾は病気の種になりがちです。
新しいスタート
遅ればせながら僕は新しいスタートをまた切れる日が来たと実感しています。
これまではどうしても「病気の自分」や過去のトラウマや出来事を引きずったままの自分を捨てる事が出来ませんでした。
ましてやこうしてブログやSNSでそれらをひけらかして、まるで自分のシンボルのように発信していました。
それも踏まえてこれからは自分の中の新しい気付きとスタートとして、パートナーのまーちゃんと人生の後半戦を謳歌しようと考えています。
こうして二人とも元気です。
なんでしょう、、、僕が元気になるに連れて青春がまた戻ってきてる感じがします。
かつては病気や闘病の戦友のように、自分がケアを受けながら依存したような関係性でしたが、ここ最近は個々が自立を感じてお互いをリスペクトし合って違った形で支え合っています。
そして笑顔の量も時間も増えました。喧嘩も増えましたが(笑。 それが自然な事なのです。
二人でやっていたブログも、ドメインの期限切れと共に廃止しました。
もうそういう過去の思い出話や苦労話は、皆さんとシェアすべきでは無いという二人の結論です。
これからのスタート。
それは僕にも皆さんにも始まります。
過去は過去、そしてそれらを紡ぐ未来が必ずあって、今一刻一刻と過ぎていっています。
辛い日々も時間も消える事はありません、その記憶が無くなる事もありません。
ですが、どんな事があっても私も皆さんもこれからを創る事は出来るのです。
あなたが元気になったらしたい事は何ですか?もし病気になる前なら何をしますか?もしかして夢や希望を捨ててませんか?
どんなに辛い状況でも、あなたが未来を創造する事は「自由」なのです。
これまでの僕は未来をも「病気の自分」を作っていました。
私や皆さんに新しい気付きと新しい人生が訪れる事を願いつつ、このブログの更新を終えようと思います。
11年もの歳月を見てくださった皆様。皆様のご健康と輝かしい未来を強く願っています。
最後に私とパートナーの中で輝いている金言を残してお別れです。
今振り返れば、私はパニック障害では無かったのかも知れません。
そう、、、皆さんもパニック障害や鬱病では無かったのかも知れません。
だとしたらどう思いますか?
答えは全て自分の中にあります。未来も全て自分の中にあります。
では未来で会いましょう。待ってます!